
30年以上一緒に子育てをしてきた親友が去年病で亡くなってしまったのですが、彼女はびわの葉愛好家でした😌
誰かが傷を作るたびに、傷口にびわの葉のエキスをガーゼに湿らせて巻いてくれたり、よくご近所みんなにも配ってくれていました✨✨✨
彼女亡き後も、びわの葉エキスはご近所みんなの傷を癒してくれています💖
そして感謝の心も教えてくれています🍀
【20230111追加原稿】
こんにちは🤗近所に住んでいた由美子さんは、お母様が人の悩みを聞くお仕事をされていた事もあり、彼女自身もその能力に長けた人でした✨
同じ年とは思えないような物知りで、琵琶の葉のエキスがとても万能という事も彼女は知っていて、いつも知り合いに送ってもらっていたようでした✨
そんな彼女の元へご近所皆さん、かわるがわるお茶飲みに行っては話を聞いてもらい、ここが痛いと言ってはびわの葉エキスをつけてもらっていました💖
そして帰りに小瓶にびわの葉エキスを分けてくれ、びわの葉エキスと彼女の優しさで傷を癒やしてくれていました✨
かなり前になりますが、彼女と買い物に行った時、トランクを閉めようとしたら、彼女の額に当たってしまいとても落ち込んだことがあったのですが、すぐにびわの葉エキスをガーゼに当てていたら綺麗に治り、あの時ほどびわの葉エキスに感謝したことはありませんでした✨
お彼岸におはぎを手作りして振る舞っていた彼女の優しさは、私たちご近所仲間の心に、びわの葉エキスと共に染み渡っています💖
先月一周忌だったのでいい供養になりますね✨ありがとうございます🙇♀️💖
まち子さんこんにちは!きたぐに夫婦のえーこです。
あったかエピソード送ってみます(*ノェノ)テレ
北海道は雪がふる毎日ですが、一日の終わりに最高に癒やされる温かいものがあります。
湯たんぽです。
寝るちょっと前に、お布団のちょうどお尻が来るであろう場所に湯たんぽを仕込んでおくんです。あとは寝るときに仕込んでた湯たんぽを足元に追いやるだけ。このちょっと前の仕込みが本当にすごくて。お布団に入ったときに、腰のあたりが心地よくぽかぽかして、足元も、移動させた湯たんぽのおかげでぬっくぬくです。冷えに邪魔されることなくすんなり寝付けます。
これは北海道に引っ越してすぐに、作り方と一緒に義母から教わりました。
沖縄で生まれ育った私が湯たんぽ作れるようになるなんてっていう衝撃と、湯たんぽの温かさの癒やし具合が半端ないんです!!っていうのを聞いていただきたくてお便りいたしました。お母さんありがとう
1992年の4月、僕はオーストラリアの日本人学校に赴任しました。
妻のお腹には6月に生まれる子供がおり,日本で産んでから来ることに決めましたので,僕は妻がくるまでの5ヶ月間,単身赴任でした。
同期の同僚たちは,皆家族と一緒に赴任します。
わからないことも不安なことも家族全員で埋め合いながら海外での生活をスタートしていました。
しかし,私は広い家にたった一人。
英語はわからないし,夜は真っ暗になるので怖いし,近所付き合いも買い物も何もわからず不安だし、
夜は翌日の授業の準備をしたらそのままバタンと寝てしまう日々でした。
家族を日本に残して一人で暮らしている状況はとても辛かった。
同僚の家族たちは一足先に生活に慣れ,あそこの奥さんは英語を習い始めたとか,風邪をひいたらこの病院がおすすめだとか、そんな話が聴こえてくるようになりました。
そのたびに、とても羨ましく,早く妻にこっちにきてほしいと,そればかり願っていました。
そんな時。日本から届いた荷物の中に一本のテープが収められていました。プリンセスプリンセスのテープです。当時は,「ダイヤモンド」、「世界で一難熱い夏」が大ヒットした頃でした。
夢中でテープを聴いた私は,その最後に収められていたある曲に釘付けになります。
「アイラブユー」という曲でした。
ポーカルとピアノの優しい曲。その詩に背中が痺れたんです。
「神様遠い旅続けるあの人見守ってください」妻の言葉に聞こえました。
妻が,遠い国で必死に頑張っている私を守ってくれるよう,神様にお願いしてくれているのだと。
涙が出そうでした。家族を置いてきたこの寂しさに9月まで耐えられるのか辛くて心が弱ってきていた時,僕はこの曲に出会ったんです。
何が起ころうとこの曲を,口ずさめば,必ず元気になると自信が出ました。
妻が私のことを神様に祈ってくれているのだから。
予定より1ヶ月早い8月の中頃,赤ちゃんを連れた妻,そして4歳の息子が、シドニーの入国ゲートから笑顔ででてきました。
初めてみる我が子を抱き抱えて微笑んでいた妻は,毎日会っているかのような気がしました。
心からありがとうと言葉をかけました。
妻は何のことかわからずポカンとしていました。
あなたの送ってくれた音楽のこのフレーズがぼくを5ヶ月間勇気づけてくれたんだよ,と心の中で言いました。
30年経った今でもまだ言っていません。
言葉で伝えると,この大切な優しい思い出が少し減ってしまいそうな気がするからです
まち子さんこんばんは😆
冬のあったかエピソード。
つい先日の事です、私は新たな道を切り開くためスクールに通って勉強してるのですが、資格試験が近いこともあり、毎日授業が終わった後も勉強していました。
次男の塾の日は早く帰宅して夕飯を作る予定だったんですが、うっかり その日も残って勉強してしまいました…スクールを出ると空は真っ暗で、慌てて自宅に帰った所長男が夕飯を作ってくれていました😊
寒空の中慌てて帰宅して、暖かい家そして、夕飯も先に作ってくれていた事。本当に有難かったです☺️
そんな息子は高校1年生です。
こんなに優しい子に育った事が、誇りに思います😊
追伸
我が家の子供達は皆優しいのが自慢です😆
あったかエピソードは我が家にある琵琶の木のお話です。社会人の長男が2歳の頃ビワの大きなタネに興味を持ちそのタネを庭に埋めたのです。そのたねは息子の成長と共におおきくなり息子が家を出た大学生の頃から息子の代わりに毎年優しい色合いのビワの実が実り、私を楽しませてくれてます。長崎のビワのように立派なビワの実がみのるように願っています。長男がビワの種に興味を持ってくれて良かったと思っています。
今から、三年程前の事です。私達夫婦にとって、思うもよらぬ夫の喉頭癌宣告を受ける事となってしましました。私達は途方に暮れ、不安で胸が張りさけそうな入院までの日々をすごしていた頃の、夢のようなエピソードがあります。飲食業を営んでいますので、お客様にも打ち明け乍(ながら)御迷惑をお許し頂いていました。その中のお一人から夫の現状初めて御来客の日に耳にされた男性のお客様。何と、翌日にもお一人で御来客下さいました。椅子にもかけられないで御見舞の労いを下さり、御自身のお父様も癌で大変でらしたとの事でした。ところが、ある日を機に御食事もとれる程の回復ぶりがあり、そしてとても元気に慣れたらしいのです。驚いた事に、そのきっかけと成ったある神社でのお守り夫に差し出して下さったのです。前日に初めて出逢った夫の為にわざわざ神社にお参りくださっての帰りだそうです。“必ず治ります”との御力添えを頂き乍、私たちは唖然としていたのです。夫は暫くうつ向き、そして絞り出す様に、「ありがとうございます」と御礼をのべると、嗚咽して涙を流していました。本当に本当に何と暖かく素晴らしおいひとこまでしょうか。私達夫婦の宝物となったこの出来事をずっと大切にし、これからは同じ病で心が折れそうな方々を助けさせて頂く人になりたいとも思いました。「キャンサーギフト」癌からの贈り物という意味らしいのですが、本当にありました。
あったかエピソードとしてお話します。
■昨年亡くなった姉の話です。
私の初恋の話でもあります。
私が小学5年の時一目惚れした娘と高校1年まで6年間ほぼ一言も話せず悶々としていました。そんな私を見かねて、姉が、言ってきてあげると私の手を引き彼女の家まで行って、私の弟と付き合って下さいと言ってくれました。お陰で次の日曜日に早速デートすることができました。想いが強すぎてかお互いギクシャクしてそれっきりになりましたが、後に彼女の女友達から両想いだったと知らされました。それ以来、私は好きな人には必ず『好き』と言えるようになりました。
初恋の自縛から解き放たれたのは姉のお陰と今でも感謝しています。こんな話でもいいのでしょうか?
お金は無いけど、夢は溢れるほどあった20代
私は売れない役者、彼は駆け出しのスチールカメラマン、絵に描いた様な昭和の風呂無しアパートで同棲生活をしていました
勿論食べてはいけないから、アルバイトを掛け持ちして暮らしていたのですが、そのアルバイトの中で忘れられない思い出があります
彼はある時SF映画の制作チームに入る事になりました、
でもスチールカメラマンでは無く、手先がとても器用な事で、その中で使われる宇宙船などの特殊模型を作ることになりました
毎日毎日寝る間もなく働いていたけれど、とても楽しそうでイキイキとする彼を見るのが私は大好きでした
いよいよ映画もクランクアップ
彼は私にプレゼントがあると2人で映画を観に行って暫くすると、、
大きなスクリーンに彼の作った宇宙船が映し出され、その横には、
M225と描かれていました
M225
桃2月25日、私の名前と誕生日
私達しか知らないこのアルファベットと数字
彼はほんの遊び心だったのかも知れないけれど、私にとっては大切な大切な宝物です
その後、彼とは別れてしまったけれど、どこかでずっと繋がっている気がします
あったかエピソードです。
数日前の新聞に載っていた記事ですが、心を打たれましたので誰かに話さずにはいられなくて 投稿しました
ウクライナの ある防空壕での出来事です。大人も子どもも、一年中で最も楽しみにしているクリスマス🎄を目前に控えたある日のこと。乏しい食糧の中に たまご が4個だけ残っていました。それはクリスマスの日にみんなでホットケ-キを作って食べようと 残してあった貴重なもの。すると 一人の女の子(5歳くらい)が[玉子焼きが食べたい] と言い出したのです。しばらくすると、女の子の前には見事な玉子焼きが差し出されました。女の子が嬉しそうに玉子焼きをほうばる様子に 目を細めながら、周りの大人達は、小麦粉だけの 薄いホットケ-キを食べたという事でした。こんなに悲惨な状況にありながら少しもすさんだ気持ちを持たない誠の愛にあふれた人達に この世のマリア様だと思いました。